はるちん

死ぬまでの暇つぶし。良い日の備忘録。twitter_@chuck_abril17

村上春樹『アンダーグラウンド』&『約束された場所で』新しい物語

職業作家・村上春樹のなりふり構わない姿がそこにはある。

 

アンダーグラウンド』と『約束された場所で』。この2作は対になっている。

 

アンダーグラウンド』は地下鉄サリン事件の被害者62人へのインタビュー、『約束された場所で』は元オウム真理教の信者へのインタビューから構成されている。もちろんインタビュアーは村上春樹本人。

 

どちらから読むべきかはわからない。わたしは『約束された場所」から読んだ。こちらの方が(物理的な意味で)薄かったので。文庫本で小指の先の爪くらいの厚さ。

 

ただ、そんな薄っぺらい覚悟で読み始めたわたしでも『約束された場所』で「あちら側」の世界を知った気になった後、『アンダーグラウンド』で展開される「こちら側」の世界のわからなさに叩きのめされるという経験は悪いものではなかった。

 

特に本作のユニークな点は『アンダーグラウンド』の村上春樹本人によるあとがき、「目じるしのない悪魔」にある。

 

村上春樹といえば知的でクールでハードボイルドな卓越して優れた世界的職業作家だ。事実、彼はこの2作を通して、要領よくライターとしての技術を発揮している。取材対象の生い立ち、仕事、家庭の様子、あの時のこと、そして今。証言の積み重ねだけでその人が目の前に立っているかのように人物を描き出し、あの時あの場所でなぜこの人はそのような行動をしたんだろう、なぜ今あの時のことをこのように記憶しているんだろう、ということをかなりの納得感を持って描き出すことに成功している。

 

しかし、そういうスマートなイメージとは少し違った姿がこの章にはある。

 

それらは既にあらゆる場面で、あらゆる言い方で、利用し尽くされた言葉だからだ。言い換えれば既に制度的になってしまった、手垢にまみれた言葉だからだ。このような制度の枠内にある言葉を使って、制度の枠内にある状況や、固定された情緒を揺さぶり崩していくことは不可能とまでは言わずとも、相当な困難を伴う作業であるように私には思えるのだ。(村上春樹アンダーグラウンド講談社文庫・739頁)

 

彼は地下鉄サリン事件のセンセーショナルな報道のあり方に代表されるような、正義と悪、正気と狂気といった二項対立にシステマチックに当てはめて処理していくというやり方そのものが、わたしたちの社会が「オウム的なもの」に対抗する策を持たなかった一因ではないかと仮説する。そのために、わたしたちは「新しい物語」を始めなければならない、と。

 

しかし、その「新しい物語」を描くことは容易ではない。普段の彼ならば小説的なモチーフを用いることによって鮮やかに表現するのだろうけど、今回はその手はほとんど使えない。「枠内の状況」を語るということは一回その枠の外に出て枠そのものを眺める、外から眺めた景色を語る、ということが必要なわけだけど、現実と強く紐付いた言葉で「制度の枠内の状況」を語るのは村上春樹ですらこんなにも難しいのかと驚いた。

 

この章はあまり読みやすいといえるものではないかもしれない。ちょっと不格好だし、(標準レベルで言えばかなりわかりやすいものの)普段の彼の作品に比べれば快楽的にスルスル読めるというわけではない。だけど、どうしても書きたいんだともがく筆者の強い気持ちが感じられる。そして、読み手はその心意気をわかりたいと思える。個人的には、わたしもまさにそういうことがしたいと思いながらブログを書いていた。もちろん技術的な程度は及ぶべくもないけれど。だから、少し泣いてしまった。

 

ただ、こんな風に自分の言いたいことやりたいことをプロに全力尽くされてしまったら、昔のわたしだったらその営み自体、やめていただろうな、と思う。(綿矢りさの『蹴りたい背中』を読んだときとか、大森靖子の渋谷クワトロでの弾き語りライブを観たときとかがそうだった。)

 

けど、村上春樹はそれすら許さない。彼は「オウム的なもの」への対抗策はわたしたち一人一人が自分の「物語」を探すことだと訴える。自我を他者に譲渡して別の「物語」の「影」を授かるのは実はとても危険なことだ。普段SNSで見たいものだけを見てイイネとRTを永遠と繰り返しているわたしたちには耳が痛い。

 

彼によればこの国の戦後は終わっていない。ずっと世界は地続きで複雑で矛盾だらけで、日頃雑事で頭がパンクしそうなわたしたちには受け止めるのがちょっとしんどい。でもそれを手放した先になにが待っているのかもしれないのか、実はわたしたちの社会は体験済みだった。

 

 

約束された場所で (underground2)

約束された場所で (underground2)

 

 

 

アンダーグラウンド (講談社文庫)

アンダーグラウンド (講談社文庫)

 

 

ちなみに、もしこのブログを読んで興味を持ってくれた人がいて、とりあえず『アンダーグラウンド』のあとがきだけ読もうかなという人がいたらそれはそれで有難いし止めないけど、600頁超2段組み62人の人生を読んだ前と後では全く重みの違う体験になるはず。是非是非是非、後から少しずつでもいいから一人一人のインタビューに最後まで目を通して。

 

 

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

 

 

とはいえ、実はわたしは村上春樹のモチーフ(特に長編)はあまり得意じゃない。エッセイが好き。趣味のマラソンをテーマしながら、実はお仕事論。いわゆる「自己啓発」は苦手だけど、ちょっと元気になりたいんだよな〜という人に。