はるちん

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結婚式のスピーチの楽しみ方『SHERLOCK/シャーロック』

ポリアモリーを自称しているせいなのか、アンチ・法律婚だと思われることが多い。
それは完全に誤解だ、という話をすると長くなるし混線するので、今回はそれに対する反駁の一端だけ吐き出しておく。

結婚式のスピーチとパートナーシップの素晴らしさについて。

 

 

ここ数日、遅ればせながら『SHERLOCK/シャーロック』シリーズにハマって、人生の重要なことはすべてシャーロックに結びつけて語る迷惑な20代女になり下がっている。

 

SHERLOCK/シャーロック』はBBC製作・Netflixで配信中の人気海外ドラマシリーズ。言わずと知れた19世紀の推理小説の金字塔、アーサー・コナン・ドイルの小説『シャーロック・ホームズ』シリーズの舞台を21世紀のイギリスに置き換え、自称「コンサルタント探偵」であるシャーロック・ホームズスマートフォンやインターネットといった最新機器を駆使して事件を解決する様を描いている。現在、シーズン4まで放送されているが、わたしが出色だと思うのは、シーズン3だ。

 

シーズン1・2で淡々と堅実に展開されてきたハイレベルなエンターテイメントはシーズン3で人間ドラマとして大きく躍進する。

 

「ジョン、僕は馬鹿げた男だ。君の温かくて一途な友情によってのみ赦されている。」


シーズン3第2話、自他共に認める高機能社会病質者(High-functioning Sociopath)のシャーロック・ホームズは、彼の行動を記録するブロガー(元軍医)のジョン・ワトソンから結婚式にあたってbest man=新郎付き添い役を依頼される。このことは彼の台詞にもあるように彼の人生において「ありえない」出来事だった。

 

シャーロックはシーズン1・2を通して圧倒的な権力を持ってきた。彼は物語を推進する超越的な頭脳の持ち主であり、また、ドラマの非日常性を象徴していたからである。その非日常性のためにジョンが救われることはシーズン1の第1話ですでに描かれていた。

 

一方、シャーロックにとってのジョンとは?
シャーロックはまず自分のことを結婚式のスピーチの中でこう描写する。

 

「僕は善を見下し切り捨てるし、美に気づくことはできないし、幸せを前にしてもそれが理解できない。」


シーズン1ではただただ自身の頭脳の活躍の場とスリルを求めるだけだった彼は、シーズン2において鏡像関係にある宿敵ジム・モリアーティとの対決を経ることで己を知ったのかもしれない。客観的にしか描かれてこなかったシャーロックのキャラクターは、シーズン3では第1話から度々彼自身の口で語られるようになっていき、このスピーチで決定的なものになる。 

 

「ジョン、僕は馬鹿げた男だ。君の温かくて一途な友情によってのみ僕は赦されている。」


己を知ったシャーロックは、式の最中、切磋琢磨し続けてきた兄マイクロフトとの小さな対決も済ませている。第1話で帽子の推理ゲームから証明したように、マイクロフトとシャーロックとの違いは「孤独」を知っているか否かなのだ。シャーロックにはジョンがいる。だから、裏返しとして、ジョンがいない寂しさも知っている。そのことを高らかに宣言して、シャーロックは誓いを立てる。

 

「メアリ(新婦)も同じことを言うと思うけれども、僕たちは決して君をがっかりさせたりしない。これから一生をかけてそれを証明していく。」


ジョンだけではない。ジョンを中心としてメアリとも絆を紡いだ(そのことをメアリが完璧に理解してマネジメントしているのも素晴らしい。)。この誓いが後に彼を苦しませることになるのは後の話だが、いつだってその高い洞察力とデリカシーのなさのために人間関係の破綻を招いてきた彼が、初めて人の心を一つにした、クリエイティブを発揮した瞬間である。

 

 

誰だって、欠落を抱えて生きている。自分は何者なのか、何が美点なのか、他者との「コントラスト(対比)」からしアイデンティティは築けない。シャーロックは美と善を解するジョンによって初めてその存在を見出され、肯定された。ただ、ジョンは単なる”へんないきもの”としてシャーロックを発見したわけではない。シーズン1・2のエンターテイメントの優等生的な冒険を積み重ねたから、手段ではなく目的として彼を愛したのだ。

結婚式のスピーチは、だから、たとえそこまでではない関係の友人だったとしても、確かに誰かにとっては人生の目的なのだと知ることのできる数少ない機会だ。それが永遠に続くかどうか、とかそういうことは実は問題ではない。

 

怒涛のジューンブライドを楽しもう。

 

 

 

 

まぁ、わたし、結婚式に出席したことないんだけど。